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執筆者の写真田上正史

これからの時代⑤「新しい生活」

更新日:2023年4月16日


 第四次産業革命と言われるAIを駆使したIoT社会は、私たちの生活を大きく変化させるのは間違いありません。その上で、2020年4月以降、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点からオンライン授業やテレワークに始まる新しい生活様式が急速に推進されています。人と人とが寄り添って仕事や学習が行えない現状で、どのようにして生活していけばいいのでしょうか。

 新型コロナウイルスによるパンデミックは私たち人類に、次のような難問を突き付けてきたように思います。それは「命と経済活動どっちを取るか?」です。この命題は究極の選択ですが、経済活動をないがしろにすると、いずれサービスが衰退し、国民生活が貧困になり、経済衰退による多くの犠牲が出ることを考えると、「生きるか、死ぬか」の選択ではなく、「すぐにか、徐々にか」の選択にほかなりません。どちらにせよ結末が同じだという2択を、あたかも正答が存在するかのような感覚で考えているわけです。コロナ禍の難しい局面を第三の選択肢を考えることで、解決をしていかねばなりません。そうでないと、多くの悲しみを背負って生きていくことになるからです。悲しみは最小限に、いや誰一人悲しませない気概で、「新しい生活」について考察してまいりましょう。

 コロナ禍を機に世界はオンライン上で密なつながりを持とうと、急速に動き出しています。既存の仕事や学習、家庭生活を様々にオンライン化できないかと模索し、試行錯誤しています。こういったオンライン上での成功や失敗を経て、私なりに見えてきたことを数点あげてみたいと思います。










 一つ目は、学校偏差値に現れるような知識技能の習熟度だけが「教育の質」ではなかったということです。授業の双方向オンライン化やムービー配信化に伴い、同じ空間に人が集まって行う授業の価値が浮き彫りになりました。例えば、ある知識技能に習熟することを目標にしたとします。教師と生徒、コーチとプレーヤーのような信頼関係が基盤にあり、いまここでしか感じ得ない授業自体のライブ感覚が生徒の向上心を維持させてきました。また、共に学ぶ者同士の触発し合う関係が発想の豊かさを培っていました。非常に有機的で、そして学ぶこと自体が楽しいと思えるような感動を作り出すことが、物理的なクラス集団を形成する「教育」にはあったのです。したがって、学校偏差値というような一元的数値基準では見えてこない、学校などの人と人とが集まる物理的空間での総合的な教育の質に目を向けるべきであったということが、今、切実にわかってきました。

 二つ目は、双方向オンラインコミュニケーション時には、話す力と聞く力(語彙力・作文能力と読解能力)が一定レベル必要だったということです。電話の音声だけのやり取りに追加して、表情を交換し合える双方向オンラインコミュニケーションですが、わかってきたのは面と向かってか語り合うことに比べると、はるかに情報量は少ないということでした。物理的に近い距離で語り合うと、顔の微妙な動きや、微細な体の動き、息遣い、周囲に配慮する様子など、タブレット・パソコンなどの電子媒体を介してでは伝わりにくい微細な相手の動きを総合的に判断することができます。しかし、電子媒体を介してしまうと、「今日はこの知識を教えてもらうために」「今回はこの連絡をするために」といった目的のはっきりした利用となり、まるで現実世界で会っているかのような人間全体を総合的に伝え合うレベルの情報伝達は、現代のテクノロジーのレベルではできないということです。そういった現状で、コミュニケーションをとり合う双方に必要なことは、言語情報をメインに考えて、言語情報から相手のことを察する力です。「相手はなぜ今この表現をしたのか」「とらえようによっては言い方が批判的に聞こえるが、今回はそれほど強い批判的な思いはないだろう」など、リズミカルに会話をしながらも相手が選択した言葉を吟味し、察する能力が必要になります。双方向オンライン上の電子媒体に映ったイメージだけでは、部屋の様子が加工されていたり、顔の目や鼻や口が美しく感じる比率に加工されていたりして、実際に元気なのか、部屋はきちんと整理されているのかなどの総合的な情報は獲得しにくいのです。そう考えると、多くの情報を提供してくれるは、やはり言語情報ということになります。脳裏に使用言語の選択について深く洞察する意識が働いていれば、表面上の意味だけでなく、例えば小説の登場人物の心理をくみ取るようにコミュニケーションができ、お互いに相性が合えば自然とたくさんの心理的情報を交換するコミュニケーションがオンライン上でも可能となることが分かってきました。このように、ネット社会では語彙力・読解力・作文能力が必要不可欠となります。

 三つ目は、物理的に密集しなくてもできる仕事がたくさんあったということです。テレワークという言葉が普及し、電話でのやり取りはもちろんのこと、ビデオ通話を使用した遠隔会議や、書類・データ・画像・映像の送受信、自宅での組み立て作業や芸術的創作作業など、多くの可能性を秘めた自宅での労働が注目を浴びています。さらにテレワーク化に伴い、スマホ・タブレットやパソコンを介して会議を行う際は、目の疲れを伴うので端的に会議を進めていく方向性が日本社会に生まれ始めています。長々と時間だけがかかり、その上で答えの出ない会議に参加することは、今後少なくなりそうです。要件をまとめ、短時間で生産的に行う会議方法が日本社会に定着する序章だといえます。しかし、学校行事や一斉試験、飲食店、居酒屋、冠婚葬祭の式典やパーティーイベントなど、物理的に密集しないと成立しない仕事もあるわけで、今後はテレワークで行うか、物理的に集まって行うか、このような仕事の仕分けが日常化していくと考えられます。コロナ禍を機に、この大きな変化に対して期待を膨らませて働いてまいりましょう。

 四つ目は、オンラインコミュニケーションと物理的なつながりの併用に未来があるということです。生活や仕事の「三密(密接・密集・密閉)」を避ける習慣が日常化している昨今ですが、例えば、学校や学習塾・家庭教師という教育を受けるという取り組み考えた場合、すべてをオンラインだけで授業を受けるのではなく、自然災害やコロナ禍による休校措置時にオンラインで学習し、収束後に顔を合わせて学ぶ取り組みを行うと、新しい「学ぶ共同体」としての意識が芽生え、校舎内や制服を着ているときだけにこだわらない、共同体関係者同士の新しい気遣いや新しい励ましの声掛けが生まれてくるように思います。何をもって共同体としての意識を維持するかは、面と向かって会った時のなるべく三密を避けた思い出深い活動がキーになるでしょう。短時間の間、密集を伴ったとしても、心の交感を大切にし、そして離れる時期を過ごす。そのような「密」と「離」を繰り返す中に新しい人間関係が形成されていくと考えられます。離れている時こそ、今までの生活スタイルを見直し、一人の時間を有意義に使い、向上していく機会にできるはずです。そして向上した姿で物理的に顔を合わせて、近況報告をし合い「密」の時期を楽しむのです。このようなオンラインコミュニケーションと物理的なつながりの併用に未開発の価値があります。

 新型コロナウイルス感染拡大によって、今までの生活を改めて振り返る機会となりました。密になって過ごすことにメリットだけでなくデメリットもあり、離れて遠隔で過ごすことにもメリットとデメリットがある。そういったことが自粛期間を過ごすうちに見えてきたように思います。したがって「密」と「離」の両方のいいとこ取りをして「新しい生活」をすることが大切です。ウイルスと共存し、私たちの体内に新型コロナウイルス抗体が確立される日まで「ウィズコロナ」の生活をしていかねばなりません。密を避けつつ仕事をすることも楽しい。遠隔で離れてコミュニケーションすることも楽しい。マスクのデザインや機能性に改良を加えて販売するような「ウィズコロナ」時代にしかできないビジネスにチャレンジすることも大切です。新しい生活は、ゆったりと、じっくりと、自分と向き合う時間が増えるなかで、少しずつ豊かになっていくと考えます。人のためにできること、自分が気持ちよく過ごせることをこの時代に発想し、試してみてうまくいったら多くの人に拡散し伝達していきくべきです。コロナ時代は、そういった新しい価値を作り出す時代となりそうです。




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